七瀬三部作「家族八景」

七瀬三部作「家族八景」

「家族八景」は七瀬三部作の1作目にあたる小説です。作者は筒井康隆です。「七瀬ふたたび」の前の話ということになります。1970年から1971年にかけて「小説新潮」に掲載された1話完結の8編の短編小説からなるお話で、それぞれのタイトルは「無風地帯」「澱の呪縛」「青春讃歌」「水蜜桃」「紅蓮菩薩」「芝生は緑」「日曜画家」「亡母渇仰」です。この作品は第67回直木賞の候補にもなりましたが、受賞とはなりませんでした。

あらすじ

18歳の火田七瀬は、人の心を読めてしまう精神感応能力者(テレパス)の女性です。高校卒業後、住み込みのお手伝いとして様々な家庭を転々としていました。彼女の両親は既に亡くなっていて天涯孤独の身。七瀬は自身の能力が人にばれることを恐れて、一所に留まらずにすむ家政婦という仕事を選んだのでした。

「無風地帯」
上流階級の家庭にお手伝いとして雇われた七瀬。一家は表向きは仲睦まじく明るい家庭でしたが、実は心の中ではお互い見下し合い、罵り合っています。七瀬はその実情に呆れ、こんな歪な家族は壊れてしまった方がいいとして干渉しますが、それすらも一家は軽くいなしてしまいます。やがて七瀬はこの家族の形を辛うじて保っているのが、一番家族からないがしろにされている母親であることに気が付きます。
「澱の呪縛」
異臭漂う不潔な屋敷へ勤めることが決まった七瀬。大家族のその家庭には年頃の男子が多く、彼らの生理現象を処理したものが無造作に残され、それらが悪臭を放っていたのでした。苦戦しながらも仕事をこなす七瀬。子供たちはそんな七瀬に対して敵意を抱いています。やがて七瀬は彼らの敵意の理由に気付きます。彼らは自分たちが不潔であることに気付いていなかったのです。しかし七瀬によって清掃されたことで初めて不潔に気が付き、気恥ずかしさと七瀬に対する憎悪が募っていたのでした。七瀬はこれ以上ここにはいられないと悟り、この家をさることを決意します。
「青春讃歌」
七瀬の次の職場はごく普通の中年夫婦の家でした。妻は理想が高く、若くあろうと常に努力する人物でした。一方で自身の身体が老いてきていることを異常に怖れています。しかし彼女の夫はそれを理解しようとしません。彼女は自身の若さを確認するために、年下の男性と関係を持つようになります。しかし、老いているが故にその男性にも捨てられてしまいます。彼女は次第に自分よりも若い七瀬に嫉妬するようになります。彼女に憧れていた七瀬はショックを隠せません。ある日、夫と喧嘩した妻は、年下の男と復縁するため彼の家へと向かいます。しかし道中、スピードを出しすぎたために事故に遭いそのまま帰らぬ人に。「猛スピードで事故死なんて若くなければできない」という誇らしげな死に際の気持ちをテレパスしてしまう七瀬。夫は「自分との喧嘩が原因で死んだのではない」と自分に必死に言い聞かせているのでした。
「水蜜桃」
定年退職したばかりの父と母、その息子夫婦が暮らす家へと派遣された七瀬。父は退職後、家での居場所を失っており挙句の果てに息子の嫁に欲情する始末。父以外の家族はみな、彼が息子の嫁に好奇の目を向けていることに気付いており、彼を軽蔑していました。そのうち家族から孤立してしまった父は、息子の嫁よりも幼い七瀬へと欲情の対象を乗り換えるように。彼の心がすべて読めてしまう七瀬は危機感を感じますが、どうすることもできません。そしてついに父が七瀬の寝室へと押し入ってきました。七瀬は彼の心を読みとり、幼い頃のトラウマとなっていた「さとりのバケモノ」を使って彼を撃退。精神を崩壊させてしまうのでした。
「紅蓮菩薩」
七瀬の次の仕事場は心理学の教授の家です。教授は自分の妻を軽蔑しており、妻もそれに気づいていますが無理矢理に自身の夜叉を抑え、良き妻を装っていました。教授は心理学の一環として超能力も研究しており、「火田七瀬」という名前にも興味を示します。教授は学生相手の不倫を繰り返しており、妻もうすうす勘付いてはいるものの、七瀬も舌を巻くほどの精神力で怒りを抑え込んでいる様子です。ある日超能力に関する情報を得ようと教授の部屋に忍び込んだ七瀬は、自分の父親が教授の被験者となっていたことを知ってしまいます。教授は七瀬がその娘であると知り、彼女にも研究の被験者となるよう迫りますが、七瀬はこれを涙ながらに拒否します。その様子を偶然見ていた妻は、彼が七瀬に不倫を迫ったのだと誤解。七瀬はそれを利用して教授のこれまでの不倫歴を妻に暴露します。怒り狂う妻を前にそのまま辞去する七瀬。後日、教授の妻は子供とともに無理心中するのでした。
「芝生は緑」
医者の夫とその妻が暮らす家で働くこととなった七瀬。妻は夫を軽蔑し、隣の家にすむ建築家に魅力を感じていました。建築家もまた自身の妻に不満を抱いており、医者の妻に心惹かれているのでした。一方で医者と建築家の妻もまた互いに惹かれあっていることを知った七瀬は、実験と称して彼らを結び付けようと試みます。七瀬の目論み通り、二組のカップルは互いに急接近。しかし最後の一線を越えるかというところで二組のカップルが鉢合わせてしまうアクシデントが発生します。しかしそれがきっかけでお互いに本来のパートナーへの独占欲が生まれ、翌朝にはお互い強固な絆で結ばれた夫婦となるのでした。七瀬は「これは単なる欲望だ」とあきれ果てるのでした。
「日曜画家」
平日はサラリーマンをし、日曜日は画家として働く男の家で働くこととなった七瀬。彼には妻と息子がおり、彼らはとても欲深い性格をしています。妻と息子は金のために絵を描くようにと男に迫りますが、かなくなにそれを拒否する男に、ついには殺意すら抱くようになります。ただひたすらに耐える画家の姿に七瀬は次第に惹かれるようになります。彼の心はテレパスの能力を駆使しても抽象的にしか受け取れず、彼の不思議な魅力に虜になっていた七瀬は休みを利用して密に彼の会社を訪れます。そこで七瀬が見たものは、女性社員の弱みを握って肉体関係を強要する卑劣な男の姿でした。彼の脳内はエゴの塊となっており、七瀬でさえまともに受信できないレベルになっていたのでした。そんな男に憎悪すら抱くようになった七瀬は次に彼が狙おうとしている女性に警告します。男はそのせいで欲望のはけ口を失い、ついに七瀬へとそれを向けるようになります。更には彼の息子もその欲望を七瀬へとぶつけるように。七瀬はこれ以上ここにはいられないと悟り、この家を去るのでした。
「亡母渇仰」
27歳の夫とその妻、その母親の三人が暮らす家に派遣された七瀬。男は社会的地位もあり妻もいるにも関わらず、極度のマザコンでした。ある日、男の母親が病死してしまいます。大好きな母を失った男の様子は悲壮そのもの。その様子に周囲は困惑を隠せません。上司は彼を見捨て、妻も離婚を考えるほどでした。七瀬もまた彼の思考に呆れていました。彼の母親の葬儀の日、親戚一同が集まる場で七瀬は自分に注がれる男性の目線が欲望に満ちたものであることを感じ始めます。成熟した女性になりつつある七瀬は周囲を惑わすほど魅力的になっていたのでした。お手伝いという仕事を続けることにすら危機感を感じた七瀬は、この家の仕事を最後に辞めることを決意します。そんな中、どこからともなく男の妻を呪うような声を聞いた七瀬。声の主を探るとそれは死んだはずの男の母親だったのです。棺桶の中で息を吹き返した母親。しかしその心の声は七瀬にしか聞こえません。母親が生き返ったことを話せば、自分の能力がばれてしまう。七瀬は心の中でひたすらに念仏を唱え、棺桶の中の母親は医者や嫁や七瀬を呪いながら荼毘にふされるのでした・・・。

感想

この小説は確か中学生くらいの時に初めて読みました。当時は大人ってなんて汚いんだろうと憤ったり、中学生の私にはちょっと刺激の強い場面にドキドキしながら読んだりしたのを覚えています。今、大人になって改めて読んでみると新たな面白さに気づかされます。こんなにどす黒い心を持った大人はそうそういないだろうと思っていたあの頃と違い、今はこういう嫌な人間がなんと多いことかと嘆きながら読んでしまいます。みんな心に闇を抱えて生きていて、それをすべて感じとってしまう七瀬の能力はどんなに辛いものか、想像に難くありません。七瀬がちょっと嫌な子に感じるのも、人間の悪い部分を見すぎて心が荒んでしまっているからだと思います。そんなところにもリアリティがあり、筒井康隆の凄さを改めて感じました。人間誰しもが何かしら黒いものを抱えて生きていて、そのどこかに必ず触れるからこそ、この作品はベストセラーになったのだと思います。自分の悪いところを指摘されているかのような何とも嫌な気持ちになったりしますが、それもまたこの小説のいいところです。梅雨時のじめじめした暗い部屋で読みたい一冊です。